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SUGINO STORY|フィリピンの子どもたちにスニーカーを届ける会代表 小林馨


履かなくなったスニーカーが子どもたちの宝物に。
フリーランスでアパレルの仕事をしながら、フィリピンの子どもたちへスニーカーを届ける活動を続けている小林 馨(けい)さん。SUGINO卒業生でもある小林さんに、この活動を始めたきっかけや、ファッションが社会のためにできることについてお聞きしました。

フィリピンの子どもたちにスニーカーを届ける会 代表
レディースアパレルODM/OEM「FROM THE BOTTOM」
小林 馨さん 杉野服飾大学 服飾学部 服飾学科 感性産業デザインコース
(現:インダストリアルパターンコース)2010年卒業
東京都/東京立正高等学校出身

全員にバスケットシューズが行き渡らず再訪を決意

色とりどりのスニーカーが入った段ボールを開けると、歓声とともに子どもたちが集まってくる。片言の現地語で「どれがいい?」「ちょっと小さいかな」とやりとりしながらフィッティングを手伝って、ぴったりのスニーカーが見つかったら、お互い笑顔になってハイタッチ!―小林さんが立ち上げた「フィリピンの子どもたちにスニーカーを届ける会」は、サイズが合わなくなった不要なスニーカーを日本で集め、フィリピンへ届ける活動を10年以上続けています。これまでに届けたスニーカーの数はおよそ1万3000足。小林さんがこの活動を始めたきっかけは、セブ島への語学留学でした。

「英語ができず海外出張で苦労したので、留学を考えてフィリピンへ下見に来たんです。その時目にとまったのが、がれきだらけの路地裏でバスケットボールに興じる子どもたちの姿。私も小学生の頃からバスケをしていたので身近に感じた半面、裸足やビーチサンダルでプレーする姿を見て『危ないな』と心配にもなりました。眺めていると、実際に爪先や足の裏にケガをしている子が多いんです。聞けば、傷が化膿しても経済的な事情から病院へ行かせてあげられない家庭もあるんだとか。子どもたちが安全にプレーできるようにするには何が必要か考え、思いついたのは『履かなくなったバスケットシューズを集めてプレゼントしよう』というアイデアでした。それで、帰国後自分や妹のバスケ仲間から20足ほどのシューズを集めて、留学時に持って行きました」。

セブ島の語学学校へ1カ月通い、最後の週に「日本から持ってきたバスケットシューズをストリートチルドレンに渡したい」と学校の先生に相談した小林さん。けれど、返ってきたのは意外な答えでした。「それはおすすめできない。彼らはきっと、シューズを売って、そのお金を薬物など良くないことに使ってしまうから。それはケイの望みとは違うでしょう?だったら、児童養護施設の子どもたちに寄付してほしい」。フィリピンの子どもたちを取り巻く過酷な現実に胸が痛みました。それでも、シューズを託してくれた友人たちの気持ちを届けることは諦めたくない。そこで、「私にも手伝わせて」と申し出てくれた先生と一緒に、児童養護施設へ向かうことにしました。いろいろ調べた中から先生が案内してくれたのは、2、3歳から12歳ぐらいまでの子どもたちが暮らす中規模の施設でした。
シューズを前にした子どもたちは大喜び。ずっと裸足やサンダルで過ごしていたため靴の履き方を知らない子も多く、小林さんが自ら紐の結び方も教えました。気になったのは、お気に入りが見つかった子の笑顔の横で、3歳ぐらいの子が自分の足に合うサイズを見つけられず寂しそうにしていたこと。「考えも準備も足りなかった。バッシュだけじゃなく、幅広いサイズのスニーカーをもっと集めないと」と決意した小林さんは、小さな子に「絶対にまた来るから」と約束し、フィリピンを後にしました。数十キロのスニーカー入り段ボールを抱えて日本とセブ島を数カ月ごとに行き来する生活が始まったのは、それからです。

「良い取り組みだから手伝いたい」と活動の輪が広がる

SNSで発信を始めると、さまざまな方面からスニーカーが届くようになりました。中には「自分も手伝いたい」と、仕分けやセブ島への運搬、現地でのフィッティングのサポートに名乗りをあげる人も。フィリピンでも、語学学校の先生や現地で友達になった人が施設の場所や子どもの数を調べてくれて、次々と活動の輪が広がっていきました。
ですが、活動規模が急に大きくなると予期せぬ事態も招きます。当時の保管場所は仕事先の会社が厚意で提供してくれた事務所の一角だったのですが、スニーカーが集まりすぎて一時的な受け入れストップを考えざるを得なくなってしまったのです。小林さんのもとに一通のメッセージが舞い込んだのは、そんな時でした。
送り主は、SNSを通じて活動に興味を持ってくれた広島の造船会社の方。「当社はセブ島に事業所を置いています。月に1度、現地との間に船の行き来があるので、もしよかったら、スニーカーの輸送をお手伝いしますよ」というありがたい申し出でした。小林さんにとっては、まさに“渡りに船”。
以降は、渡航メンバーが直接段ボールを抱えて飛行機に乗ることもなくなりました。現在は、スニーカーの受け入れ・仕分けから、セブ島への船便輸送までを、造船会社の社員の方々に対応いただいています。企業としてこういった社会貢献活動を行うのは初めてだったそうですが、現在は、そのノウハウを生かして災害時の物資支援なども行っているとか。「スニーカーの活動のおかげで、熊本地震の際は迅速に動くことができました」と担当の方から逆にお礼を言われ、自身もフィリピンに行くまで社会貢献にまったく興味がなかった小林さんは、自分のひとつの行動がさまざまな出来事につながっていくことに不思議な巡り合わせを感じたそうです。

集めたスニーカーを直接手渡すことに意味がある

企業の協力を得たことで、集めたスニーカーをメンバーの渡航なしで現地に届けることも可能になりました。けれども小林さんは、自分たちが直接子どもたちにスニーカーを手渡すことにこだわっています。
「私たちには、スニーカーを送ってくれた人に『ちゃんと届けたよ』と伝える責任がある。だから、子どもたちにカードを渡し、スニーカーをくれた人へのメッセージを書いてもらう取り組みも定期的に行っています。そういう血の通ったふれあいが大事だと思うんです」。
渡したスニーカーを「宝物にする」と履かずに取っておく子がいたら、「壊れたらまた別のをあげるから」と声をかけ、履くのを手伝って一緒に遊ぶ。スニーカーがみんなに行き渡ったら、カレー、牛丼、ハヤシライスなどの日本食ランチを作って、子どもたちと一緒に食べる。「フィリピンの子どもたちにスニーカーを届ける会」の活動には、モノの受け渡しだけではない交流の時間が多く含まれています。

「児童養護施設は年齢や性別で区分されているので、そこで育つ子どもたちの中には、きょうだいと離されて、何歳まではここ、次はここ、と施設を転々として暮らす子もいるんですよね。家族とまではいかなくても、私たちが時々やってくる親戚の大人のような存在になって、一緒に遊んだ時間が子ども時代を彩るにぎやかな記憶のひとつになればいいなって」。
小林さん自身にとっても、子どもたちやフィリピンの活動仲間は大切な存在です。SUGINOの後輩でもある奥様へのプロポーズは、フィリピンで子どもたちに手伝ってもらって実行しました。「YES」の答えを聞いた子どもたちは大興奮。大合唱で祝福してくれて、日本での結婚式の際にはサプライズでビデオメッセージを送ってくれました。

届ける側にとっても
受け取る側にとってもうれしい活動に

「この活動って、半分は自分たちのためでもあるんです」と小林さんは言います。小林さんやメンバーの皆さんは、セブ島へ行くたびに子どもたちから元気をもらって帰ってくるとのこと。「効率重視でスニーカーを送るだけの活動にしてしまうと、私たちがそのパワーをもらえなくなるじゃないですか。それでは一方通行になってしまう。私たちも、フィリピンでたくさんの贈り物をもらっているんです」。薪で火をおこしてみんなでカレーを作ったり、頑張って現地語を覚えて子どもたちとやりとりをした時間は、日本からの参加者にとっても忘れられない思い出になります。社会にとって良いだけでなく自分にとっても楽しい活動なら、繰り返し参加したくなるし、友達にもすすめたくなる。届ける側と受け取る側、両方にとってうれしいものであることが、活動を長続きさせる原動力になると小林さんは考えています。

着なくなった服や靴を別の場所でリユースする。古い服をリメイクする。さまざまな体型や好みに対応したデザインで多様性を尊重する。ファッションが社会のためにできることはたくさんあります。「子どもたちの足元が気になったとき、体育館建設や道路舗装への寄付でなく、『自分の手でスニーカーを届けること』を選んだのは、私自身ファッションが好きだったからかもしれません」と語る小林さん。今は、フィリピンの子どもたちが成長した後に地元で仕事に就けるよう、エシカルな雑貨制作プロジェクトの立ち上げを模索しているそうです。

PROFILE

フィリピンの子どもたちにスニーカーを届ける会 代表
レディースアパレルODM/OEM
「FROM THE BOTTOM」/小林 馨さん


SUGINO卒業後、フリーランスで衣装制作やODM/OEMの仕事を始める。
2013年より「フィリピンの子どもたちにスニーカーを届ける会」の活動をスタート。
※内容は取材時のものです。